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『手天道衛教正典』

◆「まえがき」

「まえがき」

まず、「手天道衛教」とは何か?という要諦からお話しいたします。「手天道」とは、自分自身の脳を宇宙の中心としながらその宇宙全体を神話のフィールドとして崇め、自分自身の手天道と自分自身の信仰そのものを最高神としながら手業(てわざ)を実践するアニミズムの事をいいます。そして「衛教」とは、科学と道徳との邂逅の上に立脚しながら人類究極の命題に真摯に取り組む道義的教学のことを指し示しています。つまり分かりやすく言うと、「手天道衛教」は自らの手天道を信仰し、祖先を崇拝し、あなたの手天世界を11の方角から守る宗教なのです。

根本的に手天道と衛教とは不可分です。まず単に手天道という場合には、その手天によるアニミズムは道義的教学の上に成り立っていて、また単に衛教という場合にも、その教学には必ず手天道の実践が伴います。つまり、手天道と称する時は、手天道衛教のうちアニミズムの実践について重点を置いているのであって、衛教と称する時は手天道衛教の教学について述べているのに過ぎないのです。

ではなぜ、手天道と衛教は不可分なのでしょうか。手天道とは自我を世界の中心に据えて考える万物崇拝です。自分の世界の中心は自我です。これは逃れられない宿命です。でも実際には、自我は絶対多数の他者からなる社会の中心的支配者にはなり得ません。自我は自分世界の中心であり自身の人生から逃れられない。しかし社会の中で自己中心的な振る舞いは許されない。当然そこには道義的な教学が不可欠です。ですから手天道側から考えると手天道と衛教とは不可分であることが証明できます。

それでは衛教にはなぜ手天道の実践が不可欠なのでしょうか。今、この瞬間にも自我は幾多の選択肢の中から最善であると考える手段方法を自己決定します。そしてその連続によって人生は成立しています。その決断の瞬間に複数の選択肢を互いに手天という具体的な偶像を用いて意見し合い脳内会議を行うことは、人生航路を安全に進む羅針盤になると思います。ですから衛教という教学理念には、必ず手天道の実践が必要不可欠なのです。

本書『手天道衛教正典』の企図するところは手天道衛教の正統たる指導者としての「神の仕え手」を養成することにあります。手天道衛教の盛衰は正に彼らの動向にかかっています。その教学指導のもとで信仰を希望する人は誰でも手天道衛教の信徒となることができます。ですから表紙にある∀(For all)という全称記号(universal quantifier)が、手天道衛教のシンボルマークなのです。

手天道衛教は複数の宗教の信仰を阻害しません。むしろ積極的に他宗教との相互理解を促進することを奨励しています。ただし、衛教徒は必ず、道徳遵守する存在でなければなりません。それは、未来に生きる人間として、道徳遵守は絶対条件だからです。概して言えば、決して故意に他人には危害を加えないという事です。なお、宇宙全体を神話のフィールドとして崇め科学と道徳とを融合させる手天道衛教では前世・来世の存在を認めません。来世とは、遺伝情報がこれから継代してゆく子孫の体中に未来がある事を本能的に希求していることから生まれた錯覚なのかも知れません。また逆に前世とは、遺伝情報が継代してあなたに至ったその軌跡から生まれた錯覚なのかもしれません。この様に手天道衛教は常に最新の科学を反映しながら新しい倫理を追究するのです。そこで、前世・来世を信じない衛教徒である為の心得として以下の信条を本書の冒頭にご紹介いたします。

それは、

​【手天道衛教の信条】

①今、この瞬間を、大切に生きる。

②常に、何故なんだろう、どうしてなのだろう、と思う心を持ち続ける。

③決して、最後まで諦めない。

④決して、他人に危害を加えない。

⑤自分自身とその未来を信じること。

の5点に要約されるものであり、これこそが手天道衛教の根本精神です。

また、協働社会を構築しているわれわれ人間は、自分一人だけでは生きてはゆけません。そもそも社会の一員であるという事は自分以外の絶対多数である他者に依存しながら生活している事を意味しています。自分の世界の中心は自我であり、あくまでもあなたの人生の主役はあなた自身です。しかし社会の趨勢のさなかに身を置くあなたには、ときおり目に見えない力が働いている様にも感じる事でしょう。そしてその力は時として追い風となり、また時としてそれは逆風にもなるという現実をあなたは知っています。更に加えて神秘の領域を畏敬する心や自身に対する他者からの救済を望む心などが存在していて、それが「神」なる絶対者を信仰する心をあなたの心の中に生み出しているのです。つまり手天道衛教での「神」とは、まずあなた自身の運勢であり、まだ科学的には解明されていない領域でもあり、あなた自身の心の中にある信仰心そのものなのです。それは最高神があなたの脳内自我にあることを意味していて、さらに信仰のための最高神の顕現偶像として十一面千手の容姿である衛叉大明神が神床(かんどこ)にご鎮座していることを意味しているのです。

実に人間とははかない存在で、人知の及ばない神的な存在に必ず救いを求めるものです。その事はあなたが「神」と契約を結んだのであると言うことができます。もちろん宗教は救済第一ですので、まずあなたの願いを叶えることが最優先です。その場合大切なことは、もしも幸運に恵まれた時や、願い事が叶った場合には、衛教の神であれ、他教の神であれ、「神」との契約が成就したことに感謝して、必ずお礼をするようにしましょう。衛教の場合、衛叉は脳内自我にありますから、自分自身の信仰心に感謝することになります。倫理的に、「神」の領域に対する感謝として手天道衛教ではそう規定させていただきます。もちろんわれわれは法外な献金や強制的な奉仕活動を要求したり致しません。

では、まえがきはここまでにして、次の章から手天道実践と衛教教学について順にお話しいたします。

第1章「手天道の実践」

「手天道の実践」

【手天道とは何か】

手天道は宇宙万物アニミズム信仰の一種です。ただ、その信仰は「手」を用いてなされます。では何故「手」なのでしょうか。ヒトに限らず、大脳新皮質を有する全ての生物には一つの特徴があります。それは体の中で最も良く使われる部位に対応する脳の領域が顕著に発達するということなのです。マウスで言えばアゴヒゲ、コウモリでは超音波聴覚に関する耳、そして我々ヒトの場合は「手」がそれにあたります。そのことはヒトが「手」を用いて道具を作製したり、文字を書いたりと、いろいろと複雑な動作を行えることからも明らかです。一般に人間の脳には頭頂葉の運動野の中に手の運動に関する領域が存在していると言われています。もっと言えば頭頂葉の少し後ろ側には知覚野があって、その中には当然「手」に関する知覚領域も存在しています。世俗的な例えとしてあなたの心身の遺伝情報は、あなたの両祖父母と両親という6系統の「ゲノム」(遺伝情報系の単位)の中から1つだけが優性遺伝として主体的に選ばれて構成されていると考えられますが、その要素は単一ではなく複合的に絡み合っていて複雑です。同様に個人の性格や判断を行う、「コラム」(大脳新皮質の情報単位)の領域も複合的に成り立っているので同一人物が同一のシチュエーションに遭遇してもその瞬間の判断は一様ではありません。ですが、今この瞬間に於ける、あなたの最終意思決定は一つに限定されます。この連続があなたの人生です。手天道衛教ではこの様に、あなたという脳内自我の信仰を神として、またそれ以外の絶対的多数の環境世界全てを万物アニミズム信仰することが、あなたの人生の構成要素という事になります。つまり科学を説く者が神を論じるのはアニミズムに則り全宇宙・自然現象を手天の対象と考えるからです。加えて人知の及ばぬ数々の謎のことを「神」の領域と呼称します。その内のひとつの謎を解明すると、またその先に新たな謎が生じます。必然の中の偶然の確率によって誕生した初期生命体などはその最たる例であり、「神」の領域は必ず存在し続けることでしょう。誰もが幼少期に体験したことのあるアニミズムと、社会での学習によって蓄積されてゆく価値観、両者が邂逅するこの様な局面において手天道こそが宗教と科学との融和した姿であると言えます。そうして何よりも尊いことは、自分自身の手天道と自分自身の信仰そのものです。自分を信じる事があなたの最強の守護神となるのです。

手天道衛教では、各個人の個性を尊重して「人間一個人一国家の比喩」と表現します。では、「人間一個人一国家の比喩」とはどのような考え方なのでしょうか。例えばそれは、あなたの場合、人体という37兆個以上の数の真核細胞が集合する多細胞共生体の1つに過ぎない存在であると考えます。そして、この事はその多細胞共生体こそが一つの決断の下に運命を共にする1つの生態系であり、あたかも一つの国家のような存在であるとイメージできます。つまりその結果、あなたという人間一個体は一つの国家そのものであるとみなされる事になります。これが「人間一個人一国家の比喩」です。ですから手天国家についてナショナリズムという言語が用いられる場合には、それは健全なる自己愛のことを指し示しています。

ルネサンス期から現代に至るまでの間に科学技術や自然科学に対する考え方は目覚ましく発展、発達しました。その事はすなわち人類による地球規模の実感が年を追うごとにだんだん小さくなってきているのだとも言い換える事ができます。それに伴って人間一個人が社会や地球環境に及ぼす影響は大きくなってきています。だからこそ一個体としての自分自身を大切にすることは、ヒト全体、そして地球全体の事を考えて行動するという事につながるのです。人間も生物の一員である以上、協働社会を構成しています。その中で自分一人だけで生活してゆく事は不可能であると言えます。「あなた」という多細胞共生体国家は、地球という大きな環境世界の中でその他の生命体に寄り掛かりながら生きているヒト社会の一員なのです。そこで、社会の中で「あなた」という国家の進むべき方向を最高意思決定する心の中の政府が必要になってきます。いわゆる脳内自我としての最高意思決定器官が重要になってくるのです。つまり「あなた」という手天国家には独立自治の政府が存在しているのです。ここで改めて重要な事を述べておかなければなりません。「まえがき」でも触れた様に、あなたの世界の中心はあなたです。あなたの人生の主役はあなた自身であって、それは逃れられない運命です。あなたは手天道を通じてあなたの人生を美しい神話にする事が可能です。ですがこれは自己中心的な要素を助長する考えではありません。絶対的多数の他者から成る社会の中で、あなたはその中心の特権階級にいるとは限りません。むしろ中心から離れた位置に存在する群衆の一員である可能性の方が高い筈です。でも、だからこそ、「あなた」という手天国家は、今この瞬間の判断を大切にしながら人生の舵取りを行い、大航海を行う必要があるのです。恐れず、妬まず、ひるまず、くさらず。あくまでも公平に、道義的に国家判断を繰り返しながら、知恵と勇気を持つ者は、世の為、人の為に、そして誰よりも自分自身の為に生きるのです。

【手天道の実践】

では、この観点の上に立脚しながら、具体的に手天道の実践についてお話しいたします。

手天とは、掌で作るひとがたです。ですからあなたの手天はあなたの手を使います。具体的には、人差し指を曲げて頭部となす、人形(ひとがた)のことを指し示しています。人差し指を頭部とすると、中指、薬指、小指が利き手になります。親指は添え手です。曲げた人差し指だけを単一に頭部と考えることは絶対です。ですから、じゃんけんのパーの状態の様に伸ばした人差し指を頭部とする「ゴッペ」や、曲げた人差し指を中指に密着させる「ワッカ」は禁じ手です。手天道の初期には「ゴッペ」も「ワッカ」も存在していました。ですが衛教確立以降は基本的に禁止されています。それは、現在では人差し指の曲げ方がその手天のボディープランを表現する重要な要素になっているからです。ただし、例外は必ずあり、人差し指だけを曲げる行為が難しい人に限り、「ゴッペ」や「ワッカ」の状態でも、その人が手天と認識できさえすれば、可と致します。

続いて手天道の本論について説明します。手天のモデルとなる対象はあなたの心の中にある人物と物質全てです。そして手天たちはあなたの最高意思決定器官に対して数々の進言を行ったりして働きかけてくれるのです。つまり手天道とは、あなたが必要とする様々な対象を手天に表現してあなたの自我と対話を行う動作を伴った実践行為全てです。大前提として、もしもあなたが自分を中心として人形などの所有物を周囲に置いて自分中心の世界を構築したとしても、そこでは自分の手を用いなければその遊具たちは移動したり、方向を変えたりすることは出来ません。この様に自分自身を中心とするアニミズム世界では、両手の働きは特に重要です。そこで「手天道」は、まず自身の両手を信仰して「手天化」することから始まります。左手(ゆんで)は求道心と始まりを表す阿形の「東体王宝来山神将」(とうたいおうほうらいさんしんしょう)であり、右手(めて)は智慧と終わりを表す吽形の「西体王岩壁山神将」(せいたいおうがんぺきさんしんしょう)と呼称され信仰されます。この事は最初の手天道が東方(ひがしかた)「宝来山」と西方(にしがた)「岩壁山」という力士による国技大相撲の模倣から開始された事を今に伝えています。一般的に左手の「宝来山神将」は「高立」(たかりつ)という「佐取卑」で存在し、「対面」(たいめ)という「印相」(いんぞう)を基本として表現されています。一方の右手の「岩壁山神将」も同じく「高立」という「佐取卑」で存在し、「対面」(たいめ)という「印相」を基本として表現されています。大切な事は、手天道は左右の両手で無数の人格の手天を表現してゆく所にあります。その場合、その個々の手天は、左手なら「東体王宝来山」の、右手なら「西体王岩壁山」の体を借りて具現化されているのだという点を理解するということです。当初より手天道の左手(ゆんで)が東方で右手(めて)が西方なのは、この史実に起因しています。手天道の要諦は、ここにあります。それは「天子南面」と「四神相応」という考え方です。「天子南面」とは皇帝は北を背にして南を向くという意味です。あなたの世界の天子はまさにあなたです。あなたが南面をすれば当然左手は東方になり右手は西方になります。その上で四神を信仰して相応の場所に神床を定めるのです。もっと話せば、大相撲の正面は北の方角です。四角い屋根の性質上、房の位置が四維(しい)にずれています。つまり土俵では黒房=神門、青房=鬼門、赤房=風門、白房=人門の方角になっています。衛教および方格祝詞ではこの神門に神様を祀るので土俵とは45度ずれが生じることになります。ですからあなたの衛教神殿は黒房下の神門に置かれることになります。話を手天道の生い立ちに戻します。その後、手天の数が増加したのは「竜球」と呼ばれる手天の代表競技、いわゆる「野球」の流行によります。それは野球の東西戦を行う場合、両軍合わせて最低でも18手天が必要であったからです。実際にこのベストメンバー9手天と控え投手3手天とが手天道黎明期の十二神将となっております。手天道には四種類に分類される「手天の種類」と、「佐取卑」という体型表現と、「印相」という正式な姿勢とそのことが主張する意味、さらには様々な決まり事があります。順に理解してから実践を開始するようにして下さい。

【手天の種類・神将】(しんしょう)

それでは始めに、手天の分類からお話しいたします。手天は4種類に分類されます。まず、人間は全能な存在ではありません。人知の及ばない領域がまだあります。その領域のことを「神」の領域と表現することがあります。「神」の領域には神秘性が溢れています。その神秘性を手天にした場合「神将」(しんしょう)と呼びます。身近には神社仏閣から拝領したお札やお守りから手天を具現化することが考えられます。主体的には、あなたが感じた神秘性を手天に具現化したい場合、その手天が「神将」に値します。このように神将型手天は神秘の手天であると言えます。「東体王宝来山」と「西体王岩壁山」もこれにあたります。

【手天の種類・本統】(ほんとう)

次に、あなたの直系の祖先、祖父母や両親などの遺伝的要素に由来する祖先に限定した手天の事を「本統」(ほんとう)と呼びます。「本統」は、祖父母だったらどう考えるか。両親だったらどう考えるか。という脳内会議の場合に重要な役割を果たす手天です。ですから「本統」は祖先一体型の手天なのです。また多くの場合、自我の手天は「本統」の中から選出されるものです。つまり、このように本統型手天は自我と直系祖先からの遺伝因子に基づく手天であると言えます。

【手天の種類・正護】(しょうご)

また次に、絶対多数の外部環境から創造された手天を「正護」(しょうご)と呼称します。人物由来の手天は厳密には「人正護」(にんしょうご)、物質由来の手天は厳密には「物正護」(ぶっしょうご)と呼称します。血族由来の「正護」の場合、遺伝的に関連性があり尚且つ育ての親同然の様な密接な関係にある人物由来の時、その「正護」を「本統」に叙すべきかについてはあなたの判断に委ねられます。この様に、おじ、おば、兄弟や配偶者、また自分と祖先以外でモデルとなる人物の姿形および性格・精神を写して手天とすることや、またわれわれが日常生活する上で、具体的に目に見えるもの、自分が生活する土地・家や愛用する道具や人形などの所有物を手天化したものが正護型手天なのです。ですから正護型手天は外部環境に由来する手天であると言えます。近年、モデルを手天化するこの佐取卑という行為はミラーニューロン細胞による作用であると解明されています。

【手天の種類・眷属】(けんぞく)

最後に、あなたの父親の精子と母親の卵子との結合から始まったあなたの成育上の全ての体細胞に由来する手天を「眷属」(けんぞく)と称します。つまり本統以外に、あなた自身がオリジナルで創造した手天もあなたの体細胞から生まれた手天と考えられ、それが「眷属」なのです。もちろんこの「眷属」から自我の手天を定めることも可能です。このように眷属型手天は「神将」、「本統」、「正護」以外に分類される手天であると言えます。また眷属型手天の中には『国事記』(くにことのふみ・こくじき)や『手天系譜』(しゅてんけいふ)などの『自分神話』の帳上に記されることのない、多くの「小者」(こもの)という無名の手天達も含まれています。

ここで重要な事を付記いたします。それはもしも「本統」や「正護」の対象本人が逝去され、しかしその「手天」の「家格」(かかく)があなたの手天国家に存在し続けている場合の事です。故人を手天にして手天道を行うことに問題はありません。それは墓参して祖先に問いかける行為と同義です。死者は現世には存在しません。でも、残された者の心の中に存在し続けます。その事を手天道によって用い、この人だったらどうするのだろうか、と脳内会議を行うことには矛盾はありません。衛教ではむしろその故人の供養になると考えるのです。またあなたが、実際には会った事も話した事もない歴史上の人物などを「正護」や「神将」にする場合には、その手天の存在がイタコ芸にならない様に注意しなければなりません。そのことはたとえば聖徳太子像についてAさんとBさんがそれぞれの想像をぶつけ合うといった不毛な議論からも判る様に、無意味であることは自明です。

【佐取卑】(さどりひ)

二番目に「佐取卑」(さどりひ・体型)という行為について詳述いたします。前にも述べた様に、自分を中心に人形などの所有物を自分の周囲に置いて独自の世界を構成したとしても、そこでは自分の手を用いなければその物たちは移動したり、方向を変えたりする事は出来ません。そこでまず私は、大脳から発する自己の意思により物を動かす役割を担う「手」そのものに注目したのです。そうして手を用いることによって、「手天」という人形(ひとがた)で人間そのものを表現し、更に人格を与えるという発想が生まれました。つまり「佐取卑」とは、「佐(たす)けとなるもの、うつし取る、たとえ卑しくとも。」の略であり、手天のボディープランを創造する行為とその結果生まれた手天の体型そのものを指し示しています。もちろん、利き手とそうではない手とでは、その大きさや形状は一様ではありません。それは文字を書いたり、箸を用いたりとその使用頻度に差があるからです。当然にして利き手側の手天世界の方が進歩発達しやすいのですが、手天のボディープランは、必ず左右対称で分類できるものです。教団側では「九品」(くほん)と呼ばれる基本形までを規定しています。

「佐取卑」は「鉤手」(かぎて)と「非鉤」(ひかぎ)とに大別されます。「鉤手」とは手天の頭部である人差し指の第一関節と第二関節とをほぼ直角に曲げる「佐取卑」です。鉤手は第三関節の状態で分類されます。具体的には第三関節を後ろに反った「反首」(そりくび)、直立状態の「直」(すぐ)、少しだけ傾けた「直傾」(すぐけい)約45度傾斜した「傾首」(けいしゅ)です。手天道では右手を「めて」と呼び、左手を「ゆんで」と呼びます。余談ですが衛教創始教主の「めて」と「ゆんで」には、永年指の第三関節を使用した証として「ソロモンの環」があります。もしもあなたが手天道を究める事ができたならば、その証しとしてあなたの掌にも「ソロモンの環」ができることでしょう。それでは、右手の鉤手から紹介してゆきます。右手の反首(そりくび)は「一色」(いっしき)。直(すぐ)は「事葺」(ことぶき)。直傾(すぐけい)は「立越」(たてごえ)。傾首(けいしゅ)は「保位」(ほい)です。左手の鉤手は、反首が「左公」(さこう)。直は「率」(ひきい)。直傾は「立部」(たてぶ)。傾首は「食王」(しょくおう)が代表型です。

「鉤手」以外の「佐取卑」は「非鉤」と言います。続いてその非鉤を解説します。非鉤は第一関節と第二関節とが直角ではありません。具体的には「直」が開いた状態の「手斧」(ちょうな)、手斧は高身長のイメージです。次に閉じた「傾首」で指先が掌に着かない状態で高身長のイメージの「高立」(たかりつ)、その低身長のイメージの「立」(りつ)。「傾首」で指先が掌に着く状態の「頭」(つぶり)。全ての関節を深く曲げた「強首」(ごうしゅ)です。中でも「高立」については、宝来山神将と岩壁山神将のものが特に有名です。非鉤には反首はありません。右手の手斧は「角部内」(つのぶうち)。高立は「亀山」(かめやま)。立は「佐保路」(さぼじ)。頭は「古辺」(ふるあたり)。強首は「武王」(ぶおう)と呼ばれる型が代表です。左手の手斧は「本陣」(ほんじん)。高立は「国立」(くにたち)。立は「方保田」(かとうだ)。頭は「直室」(なおむろ)。強首は「口王」(こうおう)が代表型です。この「九品」以外の「佐取卑」については、各個人が無尽蔵に創造することが可能です。それは手天道の醍醐味のひとつでもあります。

この「九品」という型を更に有効に活用する体型表現について付記します。概して、体格は人差し指の第三関節を深く曲げると太った人になります。また、人差し指の第三関節を真っ直ぐにすると痩せた人になります。その中間は中肉の人です。手天の身長は手首の位置で操作します。手天は総じて、緩やかに構えるとふくよかになります。反対に力を入れて構えると筋肉質になります。工夫によっては、頭が後ろに反った人などの特徴も表現できます。

​【印相】(いんぞう)

三番目に「印相」(いんぞう・姿勢)について解説いたします。手天道衛教の「印相」とは、片手で結ぶ手天の正式な姿勢の型とその動作を指し示しています。大別すると「威厳」、「対面」、「挙手」、「舞位」の4種類に集約できます。「威厳」(いげん)は、あなたの考えを手天が聞く時の正式な姿勢です。加えて手天自身が考える時の印相でもあります。具体的には左右の両腕を組んで考え事をしている姿勢を表現しています。「対面」(たいめ)は、手天があなたと対話する時の手天の正式な姿勢です。宝来山神将や岩壁山神将の基本姿勢もこれに該当いたします。「対面」は、加えて手天が心を開いている時の印相でもあります。具体的には左右の両腕を大きく広げて人を迎えている姿勢を表現しています。「挙手」(ぎょしゅ)は、手天が片手を挙げた時の姿勢です。中でも移心大神の「降三世」と山巓若体王の「大官寺」は、神様の特別な印相として有名です。「舞位」(まい)は、その他の全ての姿勢及び、手天の動作全般です。最後に例外の「印相」を紹介します。「鉤手・反首」の場合、「威厳」と「対面」が一緒になった「侍」(さぶろう)という「印相」が正式な姿勢です。これは利き手を閉じて、添え手は開く姿勢です。まるで刀を持って座っているようです。また、「非鉤・強首」の「威厳」の場合、それは「深威厳」(ふかいげん)と「強」(ごう)とに分かれます。体の前で腕組みをする「深威厳」が正式な姿なのですが、添え手で頭を抱える「強」を「印相」とする手天の家格もあります。

【自分神話の世界観】(じぶんしんわのせかいかん)

 『古事記』にあこがれた私は、自分の人生を『古事記』の様な神話物語にできたらどんなにすばらしいことだろうかと畏敬の念を抱きながら手天たちの歴史物語を記録していきました。ですからそれは『手天物語』ではなく『自分神話』として当初より厳格に記載・保存していきました。

  私の『自分神話・衛史・衛国帝紀』の起草も『古事記』の成立に似ていて、稗田阿礼が口誦した内容を太安万侶が撰録したように、1964年6月4日に生まれた私の手天ワールドの伝承を1991年7月15日に『国事記・衛史・衛国帝紀』という体系的な神話物語として編纂し始めたことに由来しています。その『神代帝紀・神巻上』の序文には以下の内容が記されています。

  まず『帝紀』、『旧辞』という日本の国史は、王化の鴻基であり臣民の教典とするべき聖典であると『古事記・序』を参考にした文章があり、続いて、手天道は自分の体を国家とみなして衷心より敬神の意を示す行為であること。更にその本分は、清きまことを以て祭祀に勤しみ、世の為、人の為に奉仕いたし、睦び和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈願する事にあると記載されています。その末文には『自分神話』は決して古の国史を汚すものではなく、生涯自分の命の際まで『自分神話』を累巻にして記して謹んで神に献上いたしますという決意で締めくくられています。

 前述の「手天」、「佐取卑」、「印相」によって成立する手天道は、掌を人間に見立てることによって大脳の作用と共に可視的に実在する存在であるといえます。ですから「手天」は半仮想的でありながら半実在的な存在であるとも言えます。たとえば神事としての球技の結果は事実として歴史上に残り、また手天による政治的な発言等も手天国家の歴史書に記載されます。では、この「手天たち」が活躍する世界をどのように考えるかについて説明したいと思います。私は、小学校1年生の社会科の授業で郷土福岡市の立体地図を作成しました。平地は黄緑色で印刷され、その上に徐々に高地を貼り付けてゆくという物です。その色彩は平地から高く山頂に近づくにつれ、黄緑色、緑色、黄土色、茶色、こげ茶色と変わっていき、色彩的にも美しいジオラマでした。これに感化された私は、仮想の地図を作成しました。その名は「初夏島」(しょあとう)。実際、私の自分神話の中で、福岡を指し示す地名のひとつになっています。沖縄に似た形状であったこの仮想の島には、仮想の鉄道が敷かれ、中心地が「長浜」で終点が「沖路浦」でした。仮想国家ではありますが、その鉄道切符などを手作りして楽しみました。実は第4章で詳しく述べる「佐取卑文字」は、この仮想国家専用の暗号文字として創造されたものでした。更に文字だけにとどまらず、言語の創造にまで挑戦しましたが、これは完成しませんでした。実際は福岡市南区高宮に住んでいたのですが家がある区画、「初夏島」のことを「在所」(ざいしょ)と呼称します。当然「初夏島」は以前の「在所名」(ざいしょめい)であって、私の現在の「在所名」ではありません。そして現在あなたが居住している区画のことを「今在所」(いまざいしょ)と称します。その「今在所」の名称も、あなたがオリジナルで作成する事ができます。ただし「在所」となるためには1ヵ月以上の居住が必要条件で、出張等で短期間滞在する宿などは「行宮」(あんぐう)と称して「在所」とは区別します。

そうして1992年8月8日(自分紀元339掌年)の「衛国」建国までには、この自分神話の世界は、首都(安都)を擁する16の県(北蓮県、薬叉県、東勝県、桜陽県、上軍県、安城県、京軍県、豊総県、総山県、京西県、南国県、文章県、南部県、幻国県、四道県、海南県)から構成される国家に発展して、更に手天国家の政治機構も9回改訂され 行政、立法、司法が揃った一府三省六部一房の省職寮司(丞相府、尚書省、中書省、門下省、大蔵省、外務省、厚生省、労働省、文部省、国防省、軍機房)にまで進化しました。当初は手天道による衛国の国教として成立した「衛教」は、完成期には最高神「衛叉」の信仰であり、前衛的で自衛的であり且つまた衛生学的一面をもつことから、2016年12月(自分紀元631掌年)から自分神話世界を知るすべての人の宗教としてFBで公開されているのです。このように自分神話の世界観とは、自己の人生を多数の手天による物語にして書き残し、その手天が躍動する仮想世界を心中に保有しながら、日々の人生を楽しむということに尽きると思います。ただし、あくまでもこの自分神話の世界はあなたの人生そのものが反映された内容でなければなりません。わかりやすく述べると、それはあなたの日記を、自我の手天を主人公とした物語として記す行為といえます。それが、自分神話の世界観の真髄です。

【自分神話の規則】

引き続き手天道の決まり事・禁止事項等について説明いたします。手天の数詞は「掌」(しょう)であり、1掌、2掌と数えます。右手(めて)と左手(ゆんで)とで一対となる手天の場合は双掌(そうしょう)と言います。衛教二十神の数詞は「柱」(はしら)です。創造した手天の総数が1000掌に至ると、その手天国家は最高神・最勝衛叉大明神に合祀される権利を得ることができます。手天道には鉄則があります。それは、手天は1カ月で1歳、歳を取るということです。1カ月は手天世界で1掌年(しょうねん)と呼称します。また、1年を1周年紀とも言うことがあります。ですから全ての人は満83歳3カ月である、83周年と3掌年で1000掌年の手天国家を体験することができるのです。全ての手天が1年で12掌年歳を取るということは、各手天はあなたより12倍速く老いることになります。そこで自我の手天、親族の手天、友人の手天、全ての手天には実在名は使用できません。つまり全ての手天は苗字からあなたが独創しなければならないのです。倫理的に個人情報は保護し、他者のプライバシーは秘匿しなければなりません。それは、実在名の使用による手天の逝去は縁起が悪いからです。「人正護」の手天の体型は忠実に佐取卑に写し取られます。そしてその手天の性格は何代にも受け継がれてゆきます。これを「家格」(かかく)と言います。家格は代々体型とともに受け継がれてゆくのです。ここは重要な点です。つまり手天道を行うことは、あなたがその対象を常々慮って思惟するということなのです。これは手天を通じての供養になると考えられます。手天ワールドを持つあなたの世界は自分ひとりではありません。ですから自我の手天は複数の手天の建議を参考に政策を進めてゆく事が可能なのです。これらの手天には性別があります。あなたが男性の場合、基本的にあなたの自我の手天は累代男性であり、逆に女性の場合は累代女性ということになります。また手天は結婚・出産も出来ます。もしも配偶者が「小者」の場合、名の有る手天側が優性となり、その「家格」や「佐取卑」が受け継がれてゆきます。また名の有る手天同志の婚姻の場合も、基本的にあなた自身と同性の手天が優性となり、その「佐取卑」が継代されます。もちろんその子供には、男女の性別があります。つまり、あなたが女性の場合には、自我の手天から女性を中心とする精神世界を展開することが可能であり、またあえて女系の手天世界を選択せずに男系の手天世界を構成することも可能です。この手天世界の男系・女系の別については、あくまでも神話の世界の事ですので、必ず例外は存在しますし、自己管理でお願いします。場合によっては継代に「佐取卑」の変異が起きます。それも神話世界の事ですので、例えば継代によって「右手」から「左手」の手天に変化したりする場合もあります。ただし、「手」に対応する「大脳新皮質」の部位は異なるため、また新たな「家格」をその手天と共に形成してゆくことになるでしょう。この、あなたの手天ワールドを手天国家にするためには、まず国号を制定することが必須です。私の場合は最初の国号が「全」、それから「帝」、そして最終的には生みの祖母の家名「衛藤」から一字を取り「衛」国としました。要するに私の場合の国号とは本統に由来するものであったという事です。国号が定まると、その時から手天世界での時間が流れ始めます。手天世界の時間軸として、まずあなたが生まれた年の誕生日があなたの紀元節となります。例えば、現在のあなたが33歳と3カ月の場合、33(周年紀)×12(掌年)+1(紀元掌年)+3(掌年)=400で丁度、紀元400掌年での建国となります。この様に100掌年単位の場合、紀元400掌年を略称して400年紀(ねんき)と記載することも可能です。あなたの手天ワールドでの自我の手天は国家元首であり、その職制はあなたに委ねられますが、その元首が在位する間の年号を用意することをお勧めします。あとはあなたの国家元首を中心に国政が展開されてゆければ自分神話を執筆するための準備は完了です。安全配慮として、野球や剣道など道具を使用する競技の場合は、必ずゴーグルなど眼を完全に防護してから、格闘技系は打突禁止の上、骨折には充分注意して行って下さい。

​【手天道要諦】

手天道の紀元は1964年6月4日(自分紀元元年)です。これは衛教創始教主の紀元節です。ですから毎年この日は手天道紀元節として、左手「東体王宝来山神将」と右手「西体王岩壁山神将」という自分の両手に感謝する日です。

続いて手天道の信仰についてまとめると、手天道の主人公はあなた自身であり、あなたの世界の中心はあなた自身です。ですからあなたの脳内自我最高神として、そのあなたを中心として時間と11の方角を守る手天道での最高位なる神を具体的に偶像として崇拝する必要があるのです。そしてそれが、正式名称「衛迦荼沙阿・幡荷・叉鉢修・羅部斯陀闥・大明神」(エーカダシャ・ムカ・サハス・ラブジャ・だいみょうじん)なのです。「衛迦荼沙阿」(エーカダシャ)は11の、「幡荷」(ムカ)は顔、「叉鉢修」(サハス)は千の、「羅部斯陀闥」(ラブジャ)手を持つ者という意味です。千手、つまり千を超える手天を使役する存在という意味です。ですからこの叉鉢修羅部斯陀闥こそまさに手天の神と言えます。この最高神はあなた自身の脳内世界を信仰するものであり、衛迦荼沙阿幡荷の衛と叉鉢修羅部斯陀闥の叉を合わせて「衛叉大明神」(えいさだいみょうじん)と呼称されます。つまり、創始教主の手天国家が、1992年8月8日(自分紀元339掌年)に衛国の国教として「衛教」を立教しましたが、その最高神の名称が2018年7月11日(自分紀元650掌年)に偶然の中の必然によって「衛叉」と定められたということなのです。また「手天道衛教」は父方の祖先とゲノムの領域も常々信仰します。それが「移心大神」(いしんおおかみ)です。母方の祖先とゲノムの領域も信仰します。それが「山巓若体王」(さんてんじゃくたいおう)です。ですから「本統」は「移心」と「山巓若」の手天であると言えます。実は「衛叉」を中心とする十一方格を定める以前では衛教の最高神は、この「移心」であり、「山巓若」であり、この2柱の創造神だったのです。そして「佐取卑」と「印相」とを使いこなして、「神将」、「本統」、「正護」、「眷属」による手天ワールドを建設します。最後に「自我の手天」を創造して「国号」を制定した瞬間からあなたの手天国家が開始されます。その第一歩は必ず「岩壁山神将」と「宝来山神将」でなければなりません。全ての信徒が共通で信仰する「右手」(めて)は「西体王岩壁山」で、「左手」(ゆんで)は「東体王宝来山」です。また、自身の誕生月のことは「皇帝月」(こうていづき)と呼称され、この掌年中は人事を異動することができません。これらは全員に共通の決まり事です。奥義として対面の印相の手天に息を吹きかけると、その手天をあなたの想念の先へ送ることができます。また、威厳の印相の手天に息を吹きかけると即時にあなたの傍らに戻すことが可能です。そして手天道を意のままに使用するあなたは、あなたの人生を神話にすることが出来るのです。手天道衛教では、あなたの自分神話を記録する事も義務付けられています。それが『手天道衛教三蔵秘抄』(えいきょうみつのくらひしょう)です。『手天道衛教三蔵秘抄』は三部構成です。まず教義にあたる『手天道衛教正典』。次に大切な、あなたの自分神話である『国事記』(くにことのふみ・こくじき)。そしてその自分神話に登場する手天の血統図である『手天系譜』(しゅてんけいふ)です。『手天道衛教正典』は本書です。「まえがき」、「手天道の実践」、「衛教の教学理論」、「衛教の神々と方位除け」、「佐取卑文字」、「手天道衛教要諦」、「あとがき」の7部で構成されています。私は、人生判断の確認作業を行う上に、『手天道衛教正典』は日常携帯する事が望ましいと思っています。そして、一番大切な自分神話があなたの『国事記』であり、その関連史料が『手天系譜』です。なお私、衛国の場合、『国事記』と『手天系譜』は『衛史』として1つにまとめられています。『国事記』は、『衛国帝紀』(自分神話物語本文)、『禁中冊封並びに司政官群卿百寮録』(皇族・県太守・司政官・官僚の記録)、『手天名鑑』(全手天の名簿)からなっていて、『手天系譜』は、『歴代皇帝・司政官歴』(皇帝・司政官の名簿)、『皇統譜』(皇統の家系図)、『皇統及び群卿血統図』(皇統に加えて群卿の家系図を加えた物)からなっています。その中でも『自分神話』の中核を成す『衛国帝紀』は重要で、「神巻」、「上巻」、「中巻」、「下巻」、「続巻」、「末巻」で構成されています。その内容は「神巻」が28歳で自我が確立したとされるまでの自分史を、衛国建国以前の手天の神話として編纂し、自我が確立して以降「上巻」、「中巻」ともに約16~17年毎の衛国の物語として史実と並行して執筆しています。ですが私は現在も健在であり、尚且つ1000掌年の手天国家を体験したいと思っていますので、今はまだこれから「下巻」の執筆を開始する直前の状況であるにも関わらず、さらに先の「続巻」まで、その構想を準備しているという事なのです。各皇帝紀はパンチングで穴を2つ開けた状態でホチキス止めを行い、それを紙表紙のファイルで保存してゆくバインダー方式を採用します。『衛国帝紀』の『神巻』は東を顕す青表紙で、『上巻』は風門を顕す緑の表紙で、『中巻』は南を顕す赤表紙。同『下巻』は白い紙ファイルで、『続巻・末巻』は黒いPPファイルを準備します。『手天道衛教正典』は神門を意味する紫色の表紙で、また『手天系譜』には中央の方角の黄色の紙ファイルを用います。そうすると表紙の色彩が、順に青、緑、赤、白、黒、紫、黄色の七色になります。このことから衛国の『手天道衛教三蔵秘抄』の別名は「七種の史」(ななくさのふみ)とも呼ばれます。この『国事記』か『手天系譜』のどちらかの帳上に記された手天のことを特別に「オンプレート」と称します。また手天の系譜には、その家系を記録するのみならず、手天名の重複を防ぐという目的があります。つまり、『自分神話』とは自我の手天とオンプレート達による壮大な手天の物語なのです。ですから言い換えると、ここにはあなたという人間一国家の歴史が記述されているのです。これはとても重たい存在です。ここに『自分神話』をよりダイナミックに展開してゆくための秘訣を一つだけお話しいたします。自我の手天は、あなたの手天世界の言わば「王」です。その国王が威厳を保つためには、政治的権利を「司政官」(しせいかん)に借与いたし、国王が直接、政治的責任を負う事を回避する必要があります。つまり手天国家の政治的責任は、司政官を中心とする内閣が恒常的に負う様にするのです。そうすればあなたの自我の手天が、人生で直面する困難によって退位する事などありません。つまり衛国の場合、本能的な欲求や生理的衝動は「国民」である肉体の声であり、それに対して「皇帝」たる自我と「政府代表」である超自我とがそれを調節することによって「手天国家」は運営されているのです。そして、そうすることによって、自我の手天は自己の信念に基づいて自らの譲位の時まで理想を追求する事が可能なのです。いずれにせよ安定的な「王家」(おうけ)の継代が、あなたのゆとりある人格を形成し続けてゆきます。そうして大切なあなたの最期の瞬間ですが、これだけはあなた以外の人の協力が必要です。具体的にはあなたが死の床に就く時、最後に用意された自我の手天の後継者「次代」(じだい)を、あなたの死の瞬間に最後の自我の手天として『国事記』の帳上に記していただく必要があるのです。必要であればそれは「神の仕え手」の手によって教団側で荘厳に仕上げることも可能です。その諡号は、皇帝の場合「解脱皇帝」。これは全ての信徒に共通です。『国事記』に「解脱」(げだつ)の名の付く手天が登場すると、故人の自分神話が完成したことが理解できます。この場合の「解脱」とは、ニルヴァーナ(悟り)ではなくモクシャ(全ての終わり)の意味です。「解脱」の名の付く手天を『手天系譜』にも記載して頂くと、壮大なるあなたの自分神話が完成されます。あなたの『手天道衛教三蔵秘抄』は衛教本殿か在家で保管されます。何人もこれを破棄する事や、書き換える事は出来ません。私の『自分神話・衛史・衛国帝紀』の『末巻・解脱帝紀』には『自分神話』の最終章について事前に定めており、参考例として公開しています。以下そのままその内容をご紹介いたします。

 【国事記末巻・要諦】(こくじきまっかん・ようてい)

 本来、衛教信徒は『自分神話』の終末を自ら執筆することができます。しかし、命の際まで手天道を行い、衛教を信仰する人にはあらゆる事態に備え、信徒の尊厳に等しい『自分神話』の最終章について共通の項目を準備しておく必要があります。よって、『衛史・衛国帝紀・末巻』の決まり事は全信徒に等しく周知いたします。衛教信徒が死を強く予感した場合、その時点でその手天国家の自我の手天に皇子をもつ立太子(成人した後継者)が存在する場合、速やかに「今来皇帝(いまき・こうてい=現在の自我の手天)」は「立太子青宮(りったいし・せいきゅう=成人した後継者)に譲位し、更に危篤臨終の際にはその立太子の皇位継承順位第一位の皇子を「解脱皇帝(げだつ・こうてい)」として即位して、その人生を終えます。万一、自ら死を覚悟した時点で皇帝(自我の手天)の皇太子に皇子が不在か、皇太子が青宮でない場合は、臨終まで「今来皇帝」が治世を行い、死の瞬間に「今来皇帝」は「皇位継承順位第一位の皇子」に譲位してその「皇嗣」が「解脱皇帝」として即位します。また、今来皇帝に皇嗣不在等の諸事情により、臨終の際に今来皇帝が解脱皇帝に重祚する場合や、皇弟による生前即位によって「今来皇帝」と「解脱皇帝」の並立が許される場合もあります。以上、手天道衛教信徒に共通の認識として周知いたします。なお『自分神話』はあなたの尊厳そのものですから、定め無き神話の終末も認めます。つまり『自分神話』はその最期の書記を教団により完結させる場合があります。「手天国史」である『国事記』は意識の無い時から自然に始めた手天道を、意識が無くなる際まで実践した尊い物語です。それは場合によっては、教団幹部が真摯にその信徒の人生の締め括りに当たる末巻を荘厳に加筆するということです。故人信徒はそうすることによって自身の『自分神話』を教団の手により完成することになります。以下は、手天道衛教・自分神話研究会の創始教主である、私、衛国の国事記『衛史・末巻』の想定準備内容です。

 ━また、私、衛国に限り、「解脱皇帝」に該当する皇嗣に王妃が存在する場合に限りその后を「寿命皇后(じゅめい・こうごう)」として記載する。様々な要因によって、解脱帝に皇子が存在する場合も事実に即して帳上に皇子として記される。また衛教創始教主に準じて、これに倣い「寿命」(じゅめい)の名跡を用いることはその他の信徒にも許される。

 私は衛教創始教主である。死後は自ら最勝十一面千手大明神・衛迦荼沙阿幡荷・叉鉢須羅部斯陀闥に合祀される。私に続いて、千を超える手天を創造した信徒である「神の仕え手」も同様に最勝の神に合祀されることをここに宣言し明記する。また、これに準じ倣い合祀を希望する信徒があれば、その時の教団の定めに従って希望を叶えることができる。私は自らの人生に完勝した。私は自らが創造した衛叉大明神という概念に則って、これからも衛教を信仰する皆様の心の中にあり、常に手天道衛教・自分神話研究会とともにある。

 あなたは人生の主役。すべてはみんなのために。∀。━

最後にとても重要な事をお伝えいたします。あなたの手天国家はアニミズムの世界です。そしてその構成内容と国家を統治する裁量は全てあなたに委ねられています。このすばらしい手天道をさらに実社会の中で、あなたにとって有意義なものにするためには、信徒全員に共通の教学理論と全ての信徒の手天道をお守りするために必要な共通の神様、衛叉・移心・山巓若という衛教大神を含む衛教二十神を祀らなければ、衛教徒全体としてまとまりがつきません。そしてこの場合、衛教二十神という20柱の守護神群は、手天道の神将より上の位に置かれた存在であることは言うまでもありません。神将は偶像であって衛教で「神」というのは衛教二十神のみなのです。そこで次の章からは、皆様の手天国家のための教学理論と衛教二十神とについてお話ししてゆきます。この点よくご理解ください。

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